« 2008年4月 | トップページ | 2008年7月 »

2008年6月29日 (日)

「鉄道員(ぽっぽや)」を見て★★★☆☆

Poppoya_250 浅田次郎の短編集からの一話を原作としたファンタジードラマ。監督 降旗康男、出演 高倉健、大竹しのぶ、小林稔侍、広末涼子、吉岡秀隆。1999年公開、114分。

廃線が決まった北海道のローカル線の最終駅に勤務駅長、佐藤乙松(高倉健)。ある日出逢った少女との心温まる物語。

実は、この映画はまったく予備知識なしに見た。佐藤乙松役は、そもそもこの映画が高倉健のプロモーションビデオかと思うほど、彼にしか演じられない役だと思う。また、まだ十代の広末涼子が初々しく可愛い。冬景色の北海道のさびれた町の景色も美しい。そして、ストーリーは確かに感動させられ、泣かされる。

しかし、である。何と言うか、ストーリー展開、演出のあざとさが鼻についてしまった。見始めて、ほどなく大体のストーリーが想像できてしまう。その期待を裏切って違う展開にならないかと思って見るが、多少の驚きがありながらも、ほぼ思った通りの流れにやや過剰な演出がついて進んでいく。そう思い始めると、佐藤乙松のあまりの不器用な生き方にも不自然さを感じ始めてしまう。

見終わった感想としては、結局、純粋に泣かされたというより、強引にそういう気持ちにさせられたのかもしれないということである。日本映画を代表する一作との評もあり、1999年の日本アカデミー賞を総なめしているが、それほどのものではないと思った。★3つ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年6月22日 (日)

「蒼穹の昴 -2、3、4」を読んで

Sokyu2_250 「蒼穹の昴 -2、3、4」(浅田次郎著、講談社文庫、2004/10初版)

通勤電車の中で読んでいたが、2巻以降、各巻の感想を書く暇もないうちに、気が付くと読み終わっていた。それだけ忙しかったことに加え、それだけ面白い本だったということのよう。

実際、大変面白く何度か危うく電車を乗り過ごしそうになった。

糞拾いから自ら浄身して宦官となり西太后に仕える李春雲(春児)、春児の兄の義兄弟で科挙に状元で合格し光緒帝に仕える梁文秀(史了)。

Sokyu3_2501巻を読み終えた時には、「この二人がどうやって立身出世していくのだろう?」というのが楽しみだったのだが、話はすぐに大きく広がり、主だった歴史上の人物が次々と登場し、すぐに壮大な歴史小説の体をなしていった。

一種オカルト的な要素や時間を超えたエピソードが出てきて、ファンタジーに近いノリも感じるのだが、かえって悠久の歴史を持つ「眠れる獅子」中国という神秘的なイメージを持てた。

興味深かったのは、日本史の授業ではほとんど教えられることのない近代史を中国の立場から描かれていたことである。これまで、当時の日本から見た小説はいくつか読んでみたが、中国側からの見方というのは新鮮であり、大変勉強になった。

Sokyu4_250 欧米にジワジワと植民地化されていく清国、明治維新による政体変化で植民地化を免れた日本。そして、日清戦争後は、国際的な地位を高めて稚拙な帝国主義政策をとりはじめる日本、それとよく似た新興ドイツ・ロシア、一方、狡猾さを身につけ円熟した帝国主義政策をとる欧米列強。一方、日清戦争の敗北で軍事的な脆弱さが露になり、欧米と対等に渡り合える李鴻章も失脚し、崩壊への道を進んでいく清国。

こうした危機的な国際情勢の中、対立を深めていく西太后を中心とした后党派と皇帝を担ぎ上げた若手改革派中心の変法派。

特に、清国の末期の政治情勢は今回初めて知る内容が多く面白かった。また、日本は、欧米列強に加わろうとしながら、当の欧米諸国からはアジアということで蔑視され、中国などアジア大陸からも新興の小さな島国と蔑視されているようであり、現代の日本の立場にも似ているようで興味深かった。こうした国際的な立場は何としても改善していくべきだろう。

さすが中国と思わされたのは、香港に関わる李鴻章の英国との交渉である。99年の租借という他国にとっては永久に思える期限だが、中国の悠久の歴史にとっては少しの間ということなのだろう。その間に英国資本でしっかりとしたインフラ整備をしてもらいその後中国に返還してもらうというシナリオである。今になってみれば、10年以上も前にその通りに中国に返還されている。国が滅び植民地化されてなお、今また、獅子の力を見せている中国のすごさを実感させられる。

さて、本書自体の感想であるが、私が持っていた残酷な独裁者というイメージとは全く違ったイメージで西太后を描き、各歴史上の人物も魅力的な人物として描かれている。物語の構成ではあざとさ・わざとらしさが鼻につく点が多々あるが、私の感想では効果的な演出に感じられた。

結末については、私はもっとあっさりと読者の想像力に任せるような組み立てで良いのではないかと思った。ほぼ話は終わっているのに、登場人物の行く末を書き続ける手法は最終巻までワクワクしながら進んできた私には、未練がましいと感じられ若干残念であった。それでも、全体として見た場合大変面白い小説である。これはお薦め。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年6月 7日 (土)

「異国の丘」を見て

Ikokunooka_300 昭和の歴史三部作ミュージカル「李香蘭」、「異国の丘」、「南十字星」が一挙に再演されているが、そのうちの一つ。劇団四季、浅利慶太作品。先日、「Wicked」を見に行った時にこの一挙公演を知ったのだが、李香蘭は仕事で忙殺されている内に終演になったため、今回は第二作「異国の丘」を見に行った。

名家の御曹司の九重秀隆がソ連によるシベリア抑留の憂き目に会い、極寒の地で死を迎える話。主人公の九重秀隆のモデルは、日中戦争時の首相、近衛文麿の長男、文隆。実際にシベリアに抑留され帰国できずに亡くなったとのことである。

華麗な貴公子がどうしてそのような目に合ったのか?シベリア抑留でどんなことが起きていたのか?史実とフィクションが混ざりながらその悲劇が語られていく。という内容。

開演後、序幕からすごい舞台だなと思っていただが、正直、1幕目の途中は、秀隆の留学中のダンスパーティーシーンで日本人が金髪かつらをつけて踊っているなど、滑稽な印象が強くてかなりテンションが低下した。しかし、2幕目に入ってからは、舞台に目が釘付けになり、涙は出るは感動するわで大変だった。日本人として、戦争を知らない身として、見に行って本当に良かった。

Showa3bu_300私にとっては、日本史の単語に過ぎなかった「シベリア抑留」という史実を知るきっかけとなった。60万人もの日本人が第二次世界大戦後ソ連に抑留されて、極寒の地で衣食住もままならない環境下で過酷な重労働を強いられ、うち6万人が帰国できずに命を落している。そして、日本への帰国事業は10年以上も続いたとのことである。

「異国の丘」というのはそんな抑留された人々の間で実際に歌われ伝えられた歌であるとのこと。

戦争中の悲劇については色々な所で語られることが多いように感じるが、戦争が終わり、復興と平和への道を歩き出した日本史の中でそんな事実があったのかと思い知らされた作品であった。

今回のパンフレットの浅利慶太の解説を読むと、浅利自身が全ての戦争を否定してはいないとわざわざ書いているが、同時に、

例えどんな崇高な目的があったとしても、戦争は民衆の、国民の凄まじい犠牲を伴って戦われるということである。

としている。このため、戦争を決断する人はこのことを深く心に刻まなくてはならないとしている。もちろん、政治家だけでなく、メディアをはじめ、国民全ての人が責任を問われる。

その上で昭和の大戦争については、当時の指導者たちにそれだけの認識、覚悟があったのかと疑問を投げかけている。私も、当時の関東軍を中心とした軍部は言わずもがな、政治家、戦争への世論をかき立てたメディアなどの事態認識の甘さや「行きがかり」を止める理性や勇気の無さがあったと思わざるを得ない。

結果、多くの民衆が徴兵され、勝ち目のない戦争を戦い、戦後もこうしたシベリア抑留という悲劇を生んだのであろう。国民の凄まじい犠牲のほんの一例が本作のエピソードなのだろう。本作のクライマックスを見るとそんな思いにさせられる。

P1100664_250 これまで、こうしたメッセージ性の強い演劇は見たことがなかったが、小説や映画よりも生で演じる演劇の訴える力の強さを実感した。戦争が終わってから60年以上が経ち、日本の戦争の悲劇が風化しつつあるが、舞台という場での疑似体験は私にとって貴重なものになった。

観客の年齢層は幅広く、20代前半から、80代くらいの高齢の方々まで、きっと思い思いの感想を持ったことだろう。

橋本元首相も涙を流して本作品を見たとのことである。戦争遺族問題は忘れられてはならないことだし、こうした作品を見ると、国際政治と純粋に戦没者に対する気持ちの間で靖国参拝を政治家が揺れる気持ちも大変理解できる。それにしても、捕虜との名目で連れ去られ、国際条約に反する奴隷の様な扱いを受けて6万人もの日本人がシベリアで死んでいるに関わらず、ロシア政府への謝罪要求はうやむやになっているという。こうした点も疑問にもってしまった。

昭和の歴史三部作は、次は来月の南十字星である。こちらもぜひ見に行きたい。

- 本日の主な出演者 -
九重秀隆: 荒川 務
宋愛玲: 佐渡 寧子
劉玄: 青山 祐士
神田: 深水 彰彦

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2008年4月 | トップページ | 2008年7月 »