2008年6月22日 (日)

「蒼穹の昴 -2、3、4」を読んで

Sokyu2_250 「蒼穹の昴 -2、3、4」(浅田次郎著、講談社文庫、2004/10初版)

通勤電車の中で読んでいたが、2巻以降、各巻の感想を書く暇もないうちに、気が付くと読み終わっていた。それだけ忙しかったことに加え、それだけ面白い本だったということのよう。

実際、大変面白く何度か危うく電車を乗り過ごしそうになった。

糞拾いから自ら浄身して宦官となり西太后に仕える李春雲(春児)、春児の兄の義兄弟で科挙に状元で合格し光緒帝に仕える梁文秀(史了)。

Sokyu3_2501巻を読み終えた時には、「この二人がどうやって立身出世していくのだろう?」というのが楽しみだったのだが、話はすぐに大きく広がり、主だった歴史上の人物が次々と登場し、すぐに壮大な歴史小説の体をなしていった。

一種オカルト的な要素や時間を超えたエピソードが出てきて、ファンタジーに近いノリも感じるのだが、かえって悠久の歴史を持つ「眠れる獅子」中国という神秘的なイメージを持てた。

興味深かったのは、日本史の授業ではほとんど教えられることのない近代史を中国の立場から描かれていたことである。これまで、当時の日本から見た小説はいくつか読んでみたが、中国側からの見方というのは新鮮であり、大変勉強になった。

Sokyu4_250 欧米にジワジワと植民地化されていく清国、明治維新による政体変化で植民地化を免れた日本。そして、日清戦争後は、国際的な地位を高めて稚拙な帝国主義政策をとりはじめる日本、それとよく似た新興ドイツ・ロシア、一方、狡猾さを身につけ円熟した帝国主義政策をとる欧米列強。一方、日清戦争の敗北で軍事的な脆弱さが露になり、欧米と対等に渡り合える李鴻章も失脚し、崩壊への道を進んでいく清国。

こうした危機的な国際情勢の中、対立を深めていく西太后を中心とした后党派と皇帝を担ぎ上げた若手改革派中心の変法派。

特に、清国の末期の政治情勢は今回初めて知る内容が多く面白かった。また、日本は、欧米列強に加わろうとしながら、当の欧米諸国からはアジアということで蔑視され、中国などアジア大陸からも新興の小さな島国と蔑視されているようであり、現代の日本の立場にも似ているようで興味深かった。こうした国際的な立場は何としても改善していくべきだろう。

さすが中国と思わされたのは、香港に関わる李鴻章の英国との交渉である。99年の租借という他国にとっては永久に思える期限だが、中国の悠久の歴史にとっては少しの間ということなのだろう。その間に英国資本でしっかりとしたインフラ整備をしてもらいその後中国に返還してもらうというシナリオである。今になってみれば、10年以上も前にその通りに中国に返還されている。国が滅び植民地化されてなお、今また、獅子の力を見せている中国のすごさを実感させられる。

さて、本書自体の感想であるが、私が持っていた残酷な独裁者というイメージとは全く違ったイメージで西太后を描き、各歴史上の人物も魅力的な人物として描かれている。物語の構成ではあざとさ・わざとらしさが鼻につく点が多々あるが、私の感想では効果的な演出に感じられた。

結末については、私はもっとあっさりと読者の想像力に任せるような組み立てで良いのではないかと思った。ほぼ話は終わっているのに、登場人物の行く末を書き続ける手法は最終巻までワクワクしながら進んできた私には、未練がましいと感じられ若干残念であった。それでも、全体として見た場合大変面白い小説である。これはお薦め。

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2008年4月 8日 (火)

「蒼穹の昴 -1」を読んで

Sokyu1_250 「蒼穹の昴 -1」(浅田次郎著、講談社文庫、2004/10初版)

どうも中国歴史物小説に嵌ってしまったようである。水滸伝もそこそこに本書も平行して読み始めてしまった。1996年4月に刊行されたものの文庫版である。上下巻を四分冊にした第一巻。

まだ全体の流れがよく分からないのだが、第一巻は、1886年に始まる。

かつて栄華を誇った清国が滅亡に向かいつつある時代。アヘン戦争、アロー号戦争に敗北し、イギリスに香港を割譲、アヘン貿易容認をさせられた。続いて、国内でも反乱が頻発。清仏戦争ではフランスに敗れて、ベトナムも失った。

産業革命で近代化に成功したイギリスを中心とするヨーロッパ諸国の植民地政策。対して、政治・経済ともに近代化を拒み続け、旧態依然とした体制で衰えていくだけの清国。

そんな時代遅れの清国の政治体制を象徴するかのような「科挙」と「宦官」。この地位に就いて権力の階段を登っていくのが本作品の主人公と思われる幼馴染の二人。

もとは高名な占い師の言葉、「汝は必ずや、あまねく天下の財宝を手中に収むるであろう。」、「天子様のかたわらにあって天下の政を司ることになろう。」をそれぞれ自分自身の宿命と信じて生きていく。この二人が清国の危機的な状況の中でどんな風に覇道を歩んでいくことになるのか?

そんなストーリーのようである。

第一巻は、梁文秀(リアンウエンシュウ)が科挙試験に一番の成績で合格し、一方、文秀の幼馴染みの李春雲(リイチュンユン)は貧しさから抜け出るために、宦官に身を投じるところで終わる。

著者は、執筆に膨大な取材や調査をしたのであろう。科挙試験についての詳細な記述は、読むにつれて試験の厳しさ、受験者の緊張感を疑似体験させられるほどのものである。一方、宦官になることを浄身というようだが、その手術の様も詳細に描かれ、こちらは男であればなおさらのこと、本能的な恐怖を感じてしまう。

まだ一巻目であるが、数ページを読み始めただけで物語の中にぐいぐい引き込まれる力強さのある作品である。歴史的背景の描写も十分で、この清国時代の中に自分がタイムスリップしたような気持ちになる。歴史の荒波の中で、梁文秀と李春雲の二人がどんな運命を辿っていくのか?いやぁ面白い。これからの展開が気になって仕方がない。

浅田次郎作品の中で名作に位置づけられる作品とのことだが、四分の一しか読んでいない今の段階でも納得できる。

次巻以降の展開が全くもって楽しみである。

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2008年3月12日 (水)

「イノベーションのジレンマ(増補改訂版)」を読んで

Innovation_250 「イノベーションのジレンマ(増補改訂版)」(クレイトン・クリステンセン著, 玉田 俊平太 監訳, 伊豆原弓 訳、翔泳社、2001/7初版)

ハーバード・ビジネス・スクールのクレイトン・クリステンセン教授による非常に評判が良い書。業界動向、企業の将来に対して技術進歩がどのような影響を与えるかを考える上で、非常に役立つ書。

本書によれば、「技術」は持続的なものと破壊的ものに分けられるという。

「持続的技術」とは、製品の性能を高めるもので現在の技術発展の延長線にあるもの。それがどんなに難しい技術でも、大手企業が開発できずに失敗につながるようなことはめったにないという。

一方、「破壊的技術」は、短期的には製品の性能を低めるものであり、技術的には簡単で誰でもできそうなものであることが特徴である。しかし、収益性の高い既存顧客、利益率の維持と成長を重視する優秀な企業は、この破壊的技術の勃興にはうまく対処できないことが多いという。

なぜ、どんなに難しい技術開発の壁も乗り越えられる優良企業が、大変簡単ないわゆるローエンド技術の勃興には無力で最悪の場合には倒産にまで至ってしまうのか?また、こうしたことは不可避で、企業戦略上回避する方法はないのか?を論じた書。

企業経営者、技術責任者、一般の企業人だけでなく、それを外部から観察するコンサルタントや株式投資家にとっても大変役立つ本であろう。

変化の激しいハードディスクドライブ業界の変遷を初めとして、製鉄業界での電炉と高炉の比較、本田技研の小型バイクの米国市場での成功など、様々なケースが例示されている。そうすることで、一般化した法則の正当性をチェック。また、その要因を分析し、解決策を提示していく。

本書を読んでいてアメリカのビジネススクールの授業を受けているようで懐かしかった。と、同時に私が見ている様々な業界でテーマになっている様々な技術と、それに対する業界各社の対応スタンスの違いについて考える上で貴重な切り口を得られた。

当然ながら、堅い内容の本で、かつ落としどころはいかにもビジネススクール的である。しかし、ドキドキ・ワクワクしながら読め、最後まで退屈することがない。また、仕事での活用・知的好奇心の充足にも大変向いている。超おすすめ。

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2008年2月22日 (金)

「水滸伝 ⑯ 馳驟の章」を読んで

Suikoden16_250 ネタバレありです。

「水滸伝 ⑯ 馳驟の章」(北方謙三著、集英社文庫、2008/1初版)

敗北を逃れ停戦に持ち込んだ梁山泊であったが、大戦を乗り切ったことで民衆の人気は高まり、以前にも増して人が集まり出した。武器の調達が間に合わなくなるため、柴進は北の女真族から武器を購入し、海路を経て梁山泊に運び込むこととなった。

候健の手引きで、戴宗は宋禁軍の将軍 高俅に会い、梁山泊側の講和の意向を伝えた。

禁軍元帥の童貫は自軍を鍛え上げ、来るべき梁山泊との決戦に備えていた。青蓮寺は先の大攻勢で資金難に陥り、しばらくは大規模攻勢を控え、塩の道の探索と地方軍強化に精を出すこととなった。

遼国内では、柴進の指示を受けた盛栄蔡慶蔡福、そして、武松李逵が武器の運び出し準備を進めていた。運び出す直前、遼軍の兵に襲われたが、武松と李逵の阿修羅のような働きで脱出、船で梁山泊に武器を運び入れた。

済州では史文恭が商人になりすまし、裴宣と柴進の暗殺に成功するが、脱出途中に劉唐に気づかれ殺害された。

北京大名府では顧大嫂の夫 孫新聞煥章に近づいたが、捕らえられ惨殺された。一方、楽大娘子は青蓮寺に籠絡されたため、その夫の孫立に殺された。

史進徐寧は調練中、童貫軍に遭遇、これを討ち取ろうと挑みかかるが、完敗した。

開封府では、公孫勝が指揮する致死軍が青蓮寺の首魁 袁明の首を狙っていた。高蓮の軍を陽動で開封府から引き離し、袁明の警護をする洪清が一人で食事に出かける日を見計らい、青蓮寺に正面から奇襲をかけた。燕青は食後の洪清を倒し、公孫勝らは袁明殺害に成功した。

李富と聞煥章だけが、青蓮寺にいなかったため、難を逃れた。そして、袁明の跡は遺言により李富が継ぐこととなった。

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まさに暗闘編といった展開である。休戦し、講和への動きも出始める中、権謀術策を巡らしながら、双方ともに暗殺が繰り返されている。特に軍に関係の薄い人ほど、「今の内に!」とでもいうように次々に殺されている。

また、青蓮寺はもともと追加の設定ということなので、いつかはこのように大打撃(全滅)するだろうと思っていたので、「とうとう来たか!」という感想である。

官軍側では、いよいよ童貫軍が胎動を始め、巻末で青蓮寺の実権は李富に移った。徐々にこの長編小説の終盤が近づいているような、台風接近の天気図を見ているような、そんな気分にさせられた。

キューバ革命をイメージして再編成されているという北方 水滸伝である。楽大娘子の処分を孫立にさせ、結局、愛妻を殺害する孫立。目的のためには手段を選ばないという革命勢力の非道な感じを受け、連合赤軍の総括にも近い暗い印象を持った。この点は残念。

もう一つ。本巻の解説は吉川晃司である。これまでとは異なり、正直読んでいて意味不明である。もう少しマジメに書いた方が良かったのではないか?別の人に頼んだ方が良かったのではないか?というおせっかいな感想も持った。

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2008年2月20日 (水)

「地頭力を鍛える」を読んで

41kt5h61ggl_250 「地頭力を鍛える~問題解決に活かす『フェルミ推定』」(細谷 功 著、東洋経済、2007/12初版)

人事採用の話をしていて、「どんな人が欲しいか?」という時に必ずと言ってよいほど出る条件の一つが、「地頭(じあたま)が良い人」。

そして、実際にコンサルティング会社の他、金融機関等でも大半の外資系企業では、面接でこの点を試す質問を出してくるようだ。

私も、採用面接をする時に、相手を評価するチェックポイントの一つに「地頭の良さ」を置いており、本書に出ているような質問もしている。

本書の例題にあるような「日本全国に電柱は何本あるか?」といった問題は、概算力を測る問題の一つに過ぎないと思っていた。しかし、これが本書の副題になっている「フェルミ推定」であるとのこと。ちなみにフェルミというのは、シカゴ大の教授の名前なのだそうだ。

本書では、この「地頭力」とは何か?なぜ「地頭力」が必要なのか?そして、それを鍛えるにはどうすれば良いのか?について書かれている。

地頭力の特徴は「結論から」、「全体から」、「単純に」考えることと定義している。そして、少ない情報で仮説を立て、様々なフレームワーク(枠組み)を使い、抽象化して考えることが大切だとしている。

そして、そのベースとして、仮説を作ったりフレームワークを選択する時の論理性と直感力が必要であること。そしてさらにその大元に「考えることが好きだ」という知的好奇心が必須であるとしている。

インターネットで膨大な情報を入手しやすくなった現代は、その情報におぼれてしまう人と、地頭力を使って情報をうまく利用できる人の二極化(ジアタマデバイド)が起きるとしている。

ちょうど、先日、当社の若手の新人に、「Googleで検索するよりもまず自分で考えるように」と言ったのを思い出した。検索して覚えるだけでは、将来の仕事での応用性というエンジンが作られないからである。

一方、自分自身も疲れたり急いでいる時などにGoogleを使いながらボーッとしていることがあるなぁと気づき、反省した。

読後感では、本書の終わりに書かれている「流れ星に三回願いごとをすると願いが叶う」という話には実は根拠があるとする筆者の説明が印象に残った。

また、同じく本書の終わりに「地頭力(理にかなった内容)と対人感性力(感情に訴える話)のバランスを取るのが大切である」と書かれているが、全く同感である。一方、「このバランスを取って人に行動を起こさせるのが、地頭力を鍛えるよりもよっぽど難しい」と思う今日この頃である。頭で分かっても人は動いてくれない。なかなか大変である。

本書は、その内容が新鮮に思える人にはもちろん、ある程度分かっている人にも頭を整理したり、頭の中へのスリコミを強くするのに有用だと思った。往復の通勤電車の中でサラッと読める平易な文章で、読者自身が考える時間を使えるのも良い点だと思った。

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2008年2月 5日 (火)

「水滸伝 ⑮ 折戟の章」を読んで

Suikoden15_250 ネタバレありです。

「水滸伝 ⑮ 折戟の章」(北方謙三著、集英社文庫、2007/12初版)

攻撃されているどの塞が陥落しても、梁山泊は危機に陥る中、各拠点は必死の防戦を続けていた。どこかを破られれば、宋軍にそこに向けて大軍を投入されるのだ。

双頭山は本営を陥とされ、春風・秋風山と野戦部隊が大軍を相手に健闘していたが、兵糧が失われていた。そんな中、扈三娘索超は聚義庁の命で他戦線へ送られた。宋軍は双頭山の兵站路を探り当てて攻撃、それを守ろうとした宋清楽和は戦死した。

流花寨では宋水軍の攻撃も始まり、事態は厳しさを増した。陸戦では穆弘が命と引き換えに趙安を討ち取ろうとしたが、紙一重で成就できなかった。流花寨を守る花栄は驚異的な弓技で、宋軍を圧倒。しかし、その間、花栄の護衛をした重傷の欧鵬は戦死。

宣賛は起死回生の策として、北京大名府占領作戦を試みた。扈三娘と索超もこの作戦に参加した。宣賛の奇策は奏功し寡兵で北京大名府を占領し、敵将 審亮を討ち取った。聞煥章は間一髪のところで北京大名府からの脱出に成功。

宋水軍の一部は流花寨を通過して梁山湖へ進攻。しかし、李俊が率いる梁山泊水軍が活躍し、敵旗船の総司令官を討ち取り敗走させた。

宋 政府内では、主戦派の力を弱めることで、自身の権力拡大を図ろうとする高俅は、帝に北京大名府占領を伝え、「次は開放府ではないか?」と思わせることで、梁山泊攻撃中の各隊に撤退の勅命を出させた。陥落目前の流花寨からの撤退を不服とした宿元景は流花寨攻撃を続け、流花寨の軍師・朱武を討ち取ったが、花栄の矢に貫かれ絶命。それを契機に宿元景軍も潰走し、宋軍の大攻勢は終結した。

戦後の梁山泊では体制を立て直すための時間が必要であり、宋との講和を図ることとなった。

威勝では、膠着状態が続いていた。敵の傭兵・張清は梁山泊に加担したいが、事情があって田虎側についていた。これを知った魯達は策謀を巡らし、見事、張清を梁山泊に引き込み、田虎の乱を一気に鎮圧させた。

王進に預けられた張平は少しずつ心を開いていった。また、停戦という小休止の中、宋江の仲立ちもあり扈三娘と王英が結婚した。

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前半は、前巻からの盛り上がりが続き、戦後の後半は一転、ややページ稼ぎの感も…といった15巻である。

もしかして、このまま梁山泊軍は敗走していくのではないか?と思っていたのだが、宣賛の策略で危機を切り抜けた。その宣賛の奇策もさることながら、魯達の「本当に元坊主なのか?」と思わせる策謀のすごさ(私の中の好感度ランキングでは魯達は急降下してしまった(笑)。

また、弓の名手 花栄の自軍の士気を奮い立たせる弓の技、穆弘や黄信の敵将に挑む闘志。どれもが格好良く、途中で読み止めるのが難しくなってしまった。

次巻からはしばらく講和に向けての権謀術策と両軍間の駆引きが展開されそうである。

楊令伝に向けての伏線はさらに増えていきそうで、少し物語の流れが遮られているようにも感じる。しかし、終章に向けてはまだまだ盛り上がりが期待できそうである。とうとう、文庫本版のスケジュールに追いついてしまったので、次巻を読み終わると、毎月の新刊発売待ちになってしまった。一気読みできないのは残念だが、おとなしく待っていよう。

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2008年1月30日 (水)

「粗にして野だが卑ではない」を読んで

Sonishite250 「粗にして野だが卑ではない」(城山三郎著、文春文庫、1992/6初版)

三井物産で代表取締役社長まで昇進するなどの活躍の後、誰もが忌避する国鉄総裁の職を引き受けて名総裁と呼ばれるまでになった石田禮助の半生記。

本書は2007年の「今年の漢字」として「偽」が選ばれた時、今の時代を憂いて、財界の誰かが「これを読むべし」と紹介していた。以来、興味があり手にとってみた。

読んでいてハラハラドキドキしたり、感動して泣けたりといった類の本ではないが、「自分だったら?」と考えてみたり、こんな風にありたいものだ、と考えさせられた良書である。

恥ずかしながら、本書を読むまで私は石田禮助氏のことを知らなかった。氏は三井物産で商品取引で大成功を収めたといった華々しい実績を上げたようだが、本書ではそうした実績にではなく、タイトルにある氏の生きる指針、人生哲学に重点が置かれている。

表紙は、石田禮助が国府津駅のホームで蝶ネクタイ姿で颯爽と立っている写真だが、この写真からも、国鉄総裁として
「公職とは奉仕すべきもの、したがって総裁報酬は返上する」
など、清潔で毅然として職に挑んでいたという逸話が、読んでいて「さもありなん」という具合に思えてくる。

他の様々なエピソードを読み進めていくにつれ、石田氏のこうした価値観が素直に頭に入ってくる。

国労、運輸省、国会などの利害関係者と安全確保、収支改善などにはさまれる国有鉄道の運営という難しい仕事を、率直な物言いと公平な態度で進めていく姿は実に格好いい。結果、対立する立場にある人々からも尊敬を勝ち得ていくのである。

与党議員の地元への鉄道誘致嘆願を断ったり、国鉄幹部に「接待ゴルフ」をやめなさいと手紙を出したり。

ふりかえってみると、現在も地元票のために国益に反するような政策を進めようとする国会議員、職権濫用で私腹を肥やそうとする政治家・官僚。そんな事例はあとを絶たない。「こうした問題はいつの時代にもあるものだなぁ」と飽きれながらも、「当時は、石田禮助のような人物がいたのだなぁ」と羨ましくなった。

それだけでなく、多くの人がこうした心持でいれば、国全体も良くなっていくのではないかと思わされた。

本書の内容は、石田氏を格好良くとりあげ過ぎているのかも知れない。しかし、それは些細な問題であろう。

こうした本で大切なのは、読者自身が自分のあるべき姿を作る一助となり、それに少しでも近づく努力しようという気持ちに読者をさせてくれるかどうかだと思う。

そうした点で、これは大変良い本である。終章は少しもの悲しくもあるが、しかし、清々しい人生を送ったのだったのだろうな、と思えた。少なくとも公職に関わる人々、それだけではなく多くの日本人に読んでもらいたい書である。

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2008年1月27日 (日)

「水滸伝 ⑭ 爪牙の章」を読んで

Suikoden14_250 ネタバレありです。

「水滸伝 ⑭ 爪牙の章」(北方謙三著、集英社文庫、2007/11初版)

陥落の危機を免れた双頭山は再建が進み、扈三娘が同地の新騎馬隊調練のために派遣された。

偽装した北京大名府軍が北上しているとの情報を得、双頭山から鮑旭と扈三娘が向かった。敵の目的が不明確なため様子をうかがう梁山泊軍だったが、陽動の可能性を感じた鮑旭は、独断で扈三娘を敵背後の偵察に向かわせた。高蓮の軍が飛竜軍掃討作戦を進めていることに気づいた扈三娘は王英ら飛竜軍を救出した。

南京応天府で戴宗の飛脚屋をやっている張横は、息子の張平を連れて、飛脚網強化のための旅に出、石梯山に着いた。

威勝の田虎の叛乱は青蓮寺の策略と看破した梁山泊は、これを切り崩すために石梯山に魯達鄒淵武松李逵を派遣していた。張平の盗み癖が明らかになり、それを直すために張横は王進のいる子午山に向かい、張平を王進に託した。

一方、田虎らは遼州の傭兵部隊・張清を雇い、魯達らに差し向けた。

官軍は梁山泊を本格討伐しようと、禁軍・地方軍・水軍を合わせ20万という大群投入し、各拠点に一斉攻撃を仕掛けた。

一方、開封府では樊瑞袁明暗殺を企てるが、その側近洪清の返り討ちにあい絶命する。

流花寨攻防戦では、官軍からは宿元景趙安、水軍が圧倒的な兵力で攻撃に当たり、梁山泊側は、穆弘呼延灼関勝が防御に当たった。

三山を擁する二竜山地域は北京大名府軍の董万が率いる四万の攻撃を受けた。清風山は陥落し、燕順が戦死。しかし、清風山から本営へ向かう道は封鎖されており、董万軍の二竜山攻略への足がかりにはならず徒労に終わった。

董平が守る双頭山は真定府・太原府軍六万の攻撃を受けた。

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官軍大攻勢の前編といったところだろうか。話はますます盛り上がり、とうとう官軍は20万の軍兵の投入である。強い敵がいてこそ、話全体が勢いを持ってくるというのだろう。次第に、戦いも壮絶さを増してくる。

梁山泊は優れた人材の宝庫だが、大きな問題を抱えながらも依然圧倒的な力を持つ官軍の前には、やはり反乱軍に過ぎない。戦の大局を決める戦略レベルでは、そう言った感想を持たされた。

しかし、一方、戦術・戦闘レベルでは、官軍の中で優秀な部類に入る趙安も、呼延灼・穆弘らの前では、打撃を受け、しかも千頭もの馬を奪われてしまう。胸すく瞬間である。

また、本編の話の進行とともに、張平についての逸話は、水滸伝後の話(と私が聞いている)楊令伝への伏線が引かれ始めてもいるようだ。水滸伝は完結した一つの小説であるとともに、その世界観は悠久の時間の流れの中の一コマであるということなのだろうか。

次巻も官軍大攻勢の続きである。梁山泊は守り切れるのだろうか?それともこのまま敗北への道を辿っていくのだろうか?そして、田虎の叛乱に対して、魯達らはどのように対処していくのだろうか?

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2007年12月30日 (日)

「水滸伝 ⑬ 白虎の章」を読んで

Suikoden13_250 ネタバレありです。

「水滸伝 ⑬ 白虎の章」(北方謙三著、集英社文庫、2007/10初版)

官軍は水軍を使って流花寨に迫ったが、李俊が指揮する梁山泊水軍がこれをあっさりと撃退した。この戦で拿捕した官軍の船に取り残されていた官軍の少年・趙林阮少二は従者にした。

梁山泊は流花寨の守りが不十分であると認識していた。流花寨は梁山泊にとって開封府を攻める拠点になりうるが、官軍に攻略されれば梁山泊攻撃の拠点にもなる要所になっていた。そんな中、先の水軍の攻撃もあり、流花寨への官軍の攻撃が予想されていた。

北京大名府軍2万が二竜山方面へ進軍し、同軍1万が双頭山の南に進軍した。そして、禁軍の趙安の3万と宿元景の3万が流花寨に向けて出撃した。呉用は流花寨防衛に重点置いた。呼延灼関勝穆弘が趙安軍を攻撃すると戦線はすぐに膠着状態になった。彼ら前線の将は官軍の動きに違和感を感じながら呉用には何も言い出さなかった。

官軍の真の狙いは流花寨ではなく、双頭山であった。しかも官軍は双頭山が警戒していた南ではなく、北から密かに進軍してきた大軍をもって大規模な攻撃をした。結果、双頭山は大敗し、陥落寸前の状態になった。これは聞煥章が北京大名府の将軍として抜擢した若手の董万の策略だった。

双頭山を守る沈着冷静な鮑旭、命を賭して鬼神の働きをした朱仝李忠、機転を利かせて救援に駆けつけた秦明らの働きによって双頭山は死守された。

聞煥章は開封府に戻り、青蓮寺に敵対する宮廷内の三人を暗殺し、一方で禁軍の重鎮童貫に接見し、趙安、宿元景軍を梁山泊討伐に動員する許しを得る。だが、同時に童貫自身は梁山泊がもっと強くなるまでは静観するとの実感を得た。

孔明童猛は官軍の大規模な造船所襲撃を計画。たった百名で造船所襲撃に成功したが、孔明は部下を守るために壮絶な最期を迎えた。

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さらに官軍が強くなった。それが本巻での第一の感想である。趙安の流花寨攻撃という陽動的な効果と北京大名府を空にして全軍出動による意表をついた董万の双頭山攻撃。

安定した政権下では、汚職などがはびこって体制が堕落するが、強大な敵が現れると自己浄化作用が働き国難に立ち向かおうとする。宋の力は依然強大で、まだ浄化すれば底知れない力を持つ宋が圧倒的な優位にある、そう思わされた。

これまで不甲斐なかった地方軍は董万の指揮下、双頭山に壊滅的な打撃を与えることに成功している。また、趙安率いる禁軍も呼延灼、関勝、穆弘の前には力及ばないながら、これまでの軍と比較すると手ごわさを示す。

今後、梁山泊がさらなる苦戦を強いられることは想像に難くない。

朱仝、李忠、彭玘、孔明。一冊の中で多くの将が死んでいくようになった。いずれもが壮絶な最期を遂げている。こうした死に様の見事さというのが、北方謙三の美学なのだろうか?と思う。戦の中で、男らしく戦って死んでいく。その根本的な善悪はともかく、漫画や映画でもよくテーマになるもので、やはり格好良いものではある。

次は誰?と考えると空しい気分にもなりだしたが、次巻の展開も楽しみになる。

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2007年12月11日 (火)

「水滸伝 ⑫ 炳乎の章」を読んで

Suikoden12_250ネタバレありです。

「水滸伝 ⑫ 炳乎の章」(北方謙三著、集英社文庫、2007/09初版)

旅を続ける索超は、西の塞で武術師範を務めるが、同じ叛徒であるはずの唐昇田一族の田虎の叛乱に違和感を覚える。索超はついに梁山泊参加を決意し、林冲の指揮の下、青騎兵を組織することとなった。

田虎の叛乱は西の賊徒を吸収し、梁山泊に走る叛徒を減らそうという青蓮寺の陰謀であった。加えて、李富は南でも許定を使い、同様の叛乱を起こそうとしていた。史文恭は青蓮寺に、次は宋江呉用の暗殺をしたいと伝えた。また、李富と聞煥章は塩の道を明らかにするための調査も継続していた。

雄州では、魯達関勝との接触を続け、梁山泊へ参加するよう働き続けている。

北京大名府では、盧俊義が梁山泊の最大の資金源である新しい闇塩の道を築く努力をしていた。一方、盧俊義に付き添っていた燕青は命により宋江へ書簡を届けることとなった。

梁山泊についた燕青に林冲は、史進と索超に体術の稽古をつけるよう依頼した。梁山泊によって開放された済州の城郭は、裴宣が良い治世を行っていた。

北京大名府では、聞煥章と李富が同地に闇塩の道を仕切る要人がいることを突き止めた。容疑者を一気に束縛・拷問し、全容解明につなげようと決意する。翌朝捕らえられた中に盧俊義も含まれていた。事態の急変を知った燕青は急ぎ北京大名府に戻り、盧俊義を救出し、死域に入りながらも奇跡的に梁山泊に生還した。

梁山泊軍は、盧俊義が北京大名府に残した闇塩の道に関わる証拠を持ち出すべく、総力を挙げて北京大名府を制圧した。一方、青蓮寺は関勝の忠誠心を試すため、北京大名府から梁山泊軍を追い出す命を下す。

関勝の取った手は奇策だった。留守部隊のみを残した梁山湖畔に内密に軍を進めたため、梁山泊軍は北京大名府を捨て、急ぎ梁山泊に戻ったのだった。関勝は結局梁山泊軍との戦闘をせず、梁山泊軍到着の前に、雄州に帰還してしまった。その後宋江は関勝に書簡を送り、関勝はついに梁山泊への参加を決意するのであった。

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前半は、晁蓋を失った梁山泊がその悲しみを胸に、どのように戦時下での体制維持・強化に昇華させていくかが中心に描かれている。また、晁蓋がいたからこその宋江と晁蓋の対立であったことが明らかになる。

晁蓋亡き後、宋江の中で晁蓋が行き始めたように、宋江の考えも以前よりは積極派に変化したようである。

後半では、盧俊義の捕縛・救出、北京大名府の制圧と撤退、関勝の奇策と梁山泊参加への決意。特に燕青の活躍が大変印象的である。命がけの救出、体術で史進・索超・林冲を倒す様など、なかなかの豪傑ぶりを燕青は発揮している。

今回の北京大名府制圧戦のように、梁山泊が弱体化している官軍を叩くことで、官軍の危機感を煽り、結果として官軍が強化されていく様も面白い。物量に圧倒的に勝る官軍は、こうした敗北を積み重ねるうちに強化され、次第に反攻に転じていくだろうことは想像に難くない。

両軍のぶつかり合いが激しさを増していくことで、手に汗握るような壮絶な展開になるのだろうが、と同時に魅力的な豪傑達がまた一人、また一人と死んでいくことにもなる。晁蓋が死んで、関勝が加わった。しかし、やがてはその関勝も…。などと思うと何とも切ない気持ちにもなる。

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2007年12月10日 (月)

「水滸伝 ⑪ 天地の章」を読んで

Suikoden10_250ネタバレありです。

「水滸伝 ⑪ 天地の章」(北方謙三著、集英社文庫、2007/08初版)

呼延灼軍との戦いが終わり、公孫勝樊瑞を致死軍の暗殺者になるべく勧誘する。

二竜山に安道全から医術を学んだ白勝と薬師が派遣され梁山泊と同じ医療体制が作られた。

梁山泊に加わらずに修行を続ける索超は子午山を訪れ、王進王母楊令に出会う。

致死軍に加わった樊瑞は早速、双頭山の北で入山者を妨害し、塩の道を潰そうとする高廉の軍を速やかに殲滅し、致死軍の隊長としての優秀さを発揮する。その後、樊瑞の軍は顔が割れつつある飛竜軍と交代し代州に派遣される。

史進の副官として杜興が任命された。杜興自身は独竜岡で長い間執事を勤めた李応の元で働きたがっていたので、この人事には不満を感じた。しかし、杜興は凄惨な呼延灼戦で心に大きな傷を負った兵士達を立ち直らせる才能を発揮した。

晁蓋は、朱仝史進とともに、双頭山に進攻してきた官軍を撃退した。さらに平原の城郭を落とし、宋の支配から開放した。平原の開放には民衆の協力もあったが、その協力者の中に晁蓋暗殺を目論む史文恭がおり、たくみに晁蓋の手下の一人になっていった。

宋江と晁蓋の戦略を巡る意見の相違はますます鮮明になってきた。しかし、そんな中、史文恭は機会を捉え、ついに晁蓋暗殺に成功するのだった。

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暗闘・暗殺、そして、戦に次ぐ戦。呼延灼軍との大会戦の戦後処理と間髪入れずに続く左記の闘い、そして、打倒梁山泊に燃える李富を代表とした青蓮寺の執拗な調査と策略。

後半に入ったので、また次々に主要人物の死に直面するだろうと覚悟はしていたが、今回はなんと晁蓋である。しかも、雄雄しく敵と戦って果てるのではなく、呆気なく暗殺されてしまう。

いずれにせよ殺人が良いことであるはずはないのだが、中でも特に暗殺という暗い手法には疑問を感じてしまう。こうした戦争小説で登場人物達が戦死していくのはある意味宿命とも言える。しかし、どうも暗殺という行為が中心が扱われるというのはいかがなものか?

原典の水滸伝はあまり知らないのだが、北方水滸伝のオリジナルとして暗殺にも注力するという設定の影の勢力、青蓮寺を作ったためだろうか?あるいは、原典もやるせない悲劇の話なので、不条理に殺されるというのは、実は原典らしいと言えるのか?

いずれにしても、自分が入れ込んでいた晁蓋の死であることもあるだろう。やはり納得できない感は残ってしまう。

これからもこうして英傑達が一人、また一人と非業の死を迎えていくことになる。なんともやるせないものであるが、同時に次の展開が楽しみで仕方ない。

まずい。ハマってしまった…。

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2007年11月18日 (日)

「水滸伝 ⑩ 濁流の章」を読んで

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「水滸伝 ⑩ 濁流の章」(北方謙三著、集英社文庫、2007/07初版)

梁山泊への参加を呼びかけるべく、李逵(りき)と武松(ぶしょう)は代州の民兵の指導者、韓滔(かんとう)・彭玘(ほうき)に接触。

梁山泊に対して連戦連敗の官軍は、一勝を持って流れを変えるべく、地方軍の雄、代州の呼延灼(こえんしゃく)に出撃命令を出す。

呼延灼は、一度だけなら必ず勝てると道貫に宣言し、韓滔・彭玘と戦の準備を進める。李逵・武松の接触は遅く、韓滔・彭玘、両者ともに梁山泊と戦うこととなる。

呼延灼軍には禁軍の高俅(こうきゅう)、大砲の戦での有効性を疑われ忸怩たる思いを持ち続ける凌振(りょうしん)の二軍が呼延灼軍と行動を共にすることとなる。

一方、梁山泊は晁蓋(ちょうがい)が本隊を指揮し、呼延灼軍を迎え撃つべく待ち構える。こうして、梁山泊旗揚げ後、初の精鋭軍との会戦が始まろうとしていた。

双方対陣し、機が熟したと見るや呼延灼は凌振の砲撃と奇策を持って、梁山泊軍を一気に撃破した。梁山泊にとっては初の敗北である。

一戦後、呼延灼は帝への報告のため、北京大名府へ行かされる。しかし、これは狡猾な高俅の奸計であった。高俅は精鋭な代州軍を指揮し、梁山泊軍にトドメを差すことでこの戦の手柄を独り占めしようとしたのである。

しかし、呼延灼のいない代州軍は精彩を欠き、奇策への対策も打たれ、戦は梁山泊軍の大勝で終息した。高俅は自軍を率いて無傷のまま足早に敗走した。凌振、韓滔、彭玘は梁山泊に捕らわれ、いずれも梁山泊に寝返った。また、北京大名府から急ぎ戻った呼延灼も結局は梁山泊の一員となった。

本会戦では、多くの犠牲を出した梁山泊軍だが、新たな同士を迎え、再び体制整備を進めるのだった。

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本10巻は北方水滸伝全19巻のちょうど折り返し点である。前巻はレビューした通り一休みであった。そして、期待通り本巻10巻の呼延灼軍と梁山泊の戦は迫力あり、作戦も面白く、読み応えのある巻であった。

こうした大規模な会戦部分を読んでいると、なぜか日本の歴史モノでなく、ロード・オブ・ザ・リング、スターウォーズ、銀河英雄伝説といったSFやファンタジー映画・小説を思い出してしまった。

本書が歴史モノというよりも、中国の宋時代を舞台にした、男気小説の味が濃いためであろう。時代背景・史実との比較などは描かれず、ただただ登場人物の生き様・死に様に焦点当てているためだろう。

北方水滸伝の前半を振り返ってみると、途中までは様々な違和感を感じながら読んでいたが、読みすすめるにつれて、面白さが分かってきた気がする。

崇高な理想を掲げて、ロマンチシズムを胸に圧倒的な権力に立ち向かっていくという、若者が青春期に抱く格好良さが大変男臭いタッチで描かれているのである。

前巻からは、梁山泊内部でも晁蓋と宋江の意見が食い違って、微妙な摩擦が生じ始めていることも描かれている。本巻でも両者の距離が少しずつ開いてきているように感じた。これも何かの伏線だろうか?

後半は次第に梁山泊自身が破滅への道を辿っていくのであろう。次第に登場人物への思いいれも強くなってきたので、一人一人がどんな風に生き様、死に様を見せるのか?つらいだろうなぁ、と思いながらも勝手な想像をせざるを得ない気持ちにさせられる。

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2007年11月 3日 (土)

「水滸伝 ⑨ 嵐翠の章」を読んで

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「水滸伝 ⑨ 嵐翠の章」(北方謙三著、集英社文庫、2007/06初版)。

祝家荘の戦いでの勝利を目前にした梁山泊。死んだはずの妻 張藍(ちょうらん)が生きているとの報を受けた林冲(りんちゅう)は戦を放棄して救出に向かう。その道中、知り合った索超(さくちょう)と呂方(りょほう)。呂方は梁山泊に加わるが、索超はもっと強くなりたいと修行の旅に出て行く。

呉用(ごよう)は祝家荘戦のような事態が再び起きるのを防ぐため、開封府に近い五丈河のそばに新しい塞「流花塞」を築くことを提案。その中枢は秦明(しんめい)の副官だった花栄(かえい)、軍師に少華山の朱武(しゅぶ)が決まった。また、呂方も流花塞に配属された。

一方、二竜山には祝家荘戦から梁山泊に加わった解珍(かいちん)が秦明の副官となった。楊令(ようれい)は将来のために子午山の王進(おうしん)の元に預けられることになった。解珍は楊令に飼犬 黒鉄の子 黒雲を与える。子午山で修行を積んだ鮑旭(ほうきょく)と馬鱗(ばりん)は楊令と入れ替わりに梁山泊に加わることとなった。

塩の道を絶えさせ、梁山泊の資金源を失くそうとする青蓮寺から財産を守ろうとする盧俊義(ろしゅんぎ)と柴進(さいしん)。官軍に追われながらも、飛竜軍に守られながら銀、塩を梁山泊に運びこむ。

流花塞に楊戩(ようせん)が率いる三万の禁軍が進軍する。宋江(そうこう)と意見が食い違いながらも晁蓋(ちょうがい)が自ら迎撃軍を指揮する。しかし、これは青蓮寺の陽動作戦であった。

青蓮寺の狙いは、塩の道に関わる要人の排除だった。盧俊義(ろしゅんぎ)と燕青(えんせい)は博州付近の山中に隠れたが官軍に攻囲された。山の賊徒 李袞(りこん)、新たに梁山泊に加わった扈三娘(こさんじょう)、晁蓋、李俊(りしゅん)、史進(ししん)、王英(おうえい)らの働きで辛うじて救い出された。李袞をはじめ近隣の山の賊 項充(こうじゅう)、樊瑞(はんずい)が梁山泊に加わった。

続いて、塩や財産の運び出しを進める柴進と再び燕青が高唐で官軍に攻囲された。かつて女真族から魯智深(ろちしん)を救出した鄧飛(とうひ)、その部下 楊林(ようりん)が高唐に入り込むが救出は困難を極める。必死の思いで鄧飛・楊林は城壁に脱出のための穴を開ける。官軍に捕らわれた柴進と燕青を危機一髪で救い出したが、鄧飛はその途中、自ら開けた城壁の穴が崩れ落ち、その瓦礫の中に消えた。

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青蓮寺による様々な策略が巡らされ、盛りだくさんの本巻であるが、大規模な軍事作戦「祝家荘戦」が中心を占め、息をつかせぬ展開だった前巻に比べるとやはり盛り上がりに欠ける展開。

林冲がどうなるのだろう?とドキドキしながら読んだ前半部は良かったのだが、それ以降は、どちらかと言えば流し気味に読んでしまった。

官軍の聞煥章と梁山泊の王英の扈三娘に対する恋心のような憧憬の念。今後に向けてはこの点が一番気になった。

また、次巻かその次くらいには官軍の有力武将 呼延灼(こえんしゃく)将軍が梁山泊軍掃討に出てくるのだろうか?そのための伏線があった。

あとは、本巻では馳星周氏の斜に構えた解説が大変面白かった。

百八人の北方謙三もどきが、これでもか、これでもかと男の生き様を説き、死に様を見せつける。百万人分のナルシシズムに翻弄されるのだ。

満腹するに決まっているではないか。腹が膨れすぎて消化不良を起こすしかなくなるのがおちだ。

前巻の感想で私も書いた通り、「替天行道」の中身が出てこないことについて触れ、

百八人の豪傑を梁山泊に向かわせたその「替天行道」は、熱く書き連ねられた言葉の上に枯葉のように漂うだけだ。「替天行道」志の象徴だ。志に生き、志に死ぬ者たちには象徴があればいい。

など。しかし、こんな風に斜に構えて書けば書くほど、そうした感想を越えて本書が面白いと訴えており、「ヨイショ」コメントよりも良いと思った。

さて、本書では一休みをさせてもらった感があるので、次巻以降でのまたの盛り上がりを期待したい。

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2007年10月28日 (日)

「水滸伝 ⑧ 青龍の章」を読んで

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「水滸伝 ⑧ 青龍の章」(北方謙三著、集英社文庫、2007/05初版)。

官軍が梁山泊にとっての要衝・独竜岡に難攻の軍事拠点を築いた。官軍の拠点は祝家荘(しゅくかそう)。近隣の扈家荘(こかそう)、李家荘(りかそう)を巻き込んで、秘密裏に大規模な拠点が作られていった。

独竜岡は無数の罠で武装されており、この拠点を何とか排除しようという梁山泊は攻めあぐねていた。このままでは、梁山泊は一気に弱体化させられてしまうと危機感を抱く。

独竜岡内で隠遁生活を送る解珍解宝の親子は、官軍の動きに気づく。また、李家荘の保正・李応は官軍を阿附迎合する解家荘の動きに疑問を抱き始める。

梁山泊の柴進花栄は、登州の官軍将校 孫立に接触し、梁山泊への参加を呼びかける。

一方、難を逃れ、青蓮寺の李富のもとに戻った馬桂は、李富を覚醒させようとする聞煥章の企みで惨殺される。これを梁山泊の仕業だと思い込んだ李富は強い復讐心を抱き、梁山泊殲滅を誓うのだった。

梁山泊はどのようにして独竜岡を攻略するのだろうか?

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本巻は、これまでになく大規模な軍事作戦が行われる。梁山泊の独竜岡攻略戦、官軍による二竜山・双頭山攻略戦、そして、独竜岡内でのドキドキする駆け引き。

相変わらずの林冲の強さ、大活躍が際立つが、本巻では李逵が強烈に強い。「えっ?」と思うほどの大活躍である。官軍の攻撃は物量という点では、次第に勢いを増している。しかし、まだ、力が弱い。そんな印象である。

また、本巻からは、水滸伝の中でヒロインなっていくだろう(?)扈三娘が登場する。美人で男勝りの女戦士という設定である。

このブログを書きながら、私が中学生の時にしばらく読んでいた栗本薫氏のグイン・サーガに出てくるモンゴールの公女アムネリスが似ていると思い出した。このグイン・サーガも現在100巻を優に越え、1巻から30年近くが経とうという今も未完で続いているというのはすごいものである。最近は全く読んでいないのだが、一体いつ完結するのだろうか?

この水滸伝は、全19巻に対して本巻はまだ8巻と半分にも満たない。今のところ本巻がこれまでの中で一番面白かったと言える。

また、登場人物では、6巻の感想で書いた通り、林冲秦明将軍は相変わらずかっこいい。しかし、聞煥章は、志がない、やはり文官で戦に弱い、能力は高いが手段が卑劣、ということで私のお気に入りリストから脱落。

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2007年10月15日 (月)

「水滸伝 ⑦ 烈火の章」を読んで

Suikoden07 ネタバレありです。

「水滸伝 ⑦ 烈火の章」(北方謙三著、集英社文庫、2007/04初版)。

蔡京が抜擢し青蓮寺に送り込んだ聞煥章の改革により、官軍は強化されつつあった。

宋江ら一行は太原府山中に孤立させられ、官軍一万数千に包囲された。石切りの達人 李逵、石積みの達人 陶宗旺が石積みの罠を仕掛け、官軍の攻撃に備えた。

官軍はついに宋江らが潜む太原府山中の洞窟に火攻めを開始した。しかし、石積みの罠の効果は絶大で、ていねいに積まれた石は一つ崩れると全部の石が崩れ、官軍兵士を飲み込みながら山の下へと落ちていくのであった。

飛竜軍、朱どう雷横の兵、林冲の騎馬隊の到着で宋江らは一難を逃れ、双頭山へと辿り着いた。しかし、官軍の追撃を逃れるために殿をつとめてた雷横は単騎官軍に挑み戦死したのだった。

官軍は、了義山に替天行道の旗で偽装した軍を派遣し、少華山をおびきだし殲滅しようとした。挑発に耐えかねた史進ら賊徒は少華山を捨て了義山攻撃に踏み切る。

了義山を落とすことはできたが、重傷を負った阮小五は大軍に追われ梁山泊に逃げ延びる途上で命が尽きた。晁蓋ら梁山泊からの救援部隊の到着で史進らは梁山泊に合流できたが、阮小五はじめ犠牲も大きかった。

その頃、魯智深あらため魯達は、雄州の将軍 関勝を梁山泊に引き入れるべく雄州に滞在し、関勝に接触を図るのだった。

官軍は、梁山泊、二竜山、双頭山の真ん中に当たる独竜岡の集落に大群を目立たぬように進駐させて周りを罠で固め、三山の賊徒を一網打尽にする策略を立てつつあった。

梁山泊の間諜 時遷は、馬桂楊志殺害に深く関わっていたことを突き止め、馬桂を処断しようとしたが、その寸前に王和に殺された。

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本巻では、太原府、了義山での二つの戦いが描かれている。これまでの不甲斐ない官軍が次第に強くなっていく様が描かれている。梁山泊は宋江と史進がついに梁山泊に合流し、体制強化が進む。

無尽蔵とも思える兵力を擁する官軍に対し、少数精鋭の梁山泊。替天行道に心を打たれ梁山泊に加わる者が後を絶たない一方、官軍の前に散っていく漢の数が増え始めた。

本巻では雷横、阮小五、時遷の三人が非業の死を迎える。特に単騎で官軍に立ち向かっていく雷横の死は壮絶そのものである。

俺は、まだ立っている。雷横は思った。男は、決して倒れたりはしないのだ。

私が読んだ刷の文庫本の帯に引用されていた文章だが、まさにこうした格好の良い男の最期なのである。

おまえは、生きている、阮小五。私の心の中で、生き続けている。

阮小五が死の淵にある時、駆けつけた晁蓋が語りかけた言葉である。これからも梁山泊、官軍ともに多くの魅力ある登場人物がさまざまな形の死を迎えていくのだろう。

死というものを美化してとらえるのには、私は違和感を覚える。だが、この北方水滸伝の世界にはまりながら読んでいると何とも格好いいのである。他の登場人物とともにその死を惜しみ、涙してしまいそうになるのである。

一緒に本書を読み進めている家族に言われて気づいた。

替天行道の書には具体的には、何が書かれているのだろうか?

読んだ者は震え、涙し、暗誦できるようになるまで繰り返し読むとのことである。宋江が昔、理不尽な宋の支配を憂い、どうするべきなのか悩んだ内容が書かれているようである。しかし、具体的に何が書かれているかの記述は乏しい。一文の引用ももちろんない。

そう思い始めると、本書の筋とは別に気になってしまうのである。どこかでそんな詳しい記述が出るのだろうか?おそらく否であろう…。ついついこんな風に茶化したくなるのも、それだけ北方水滸伝にはまり始めているからかも知れない。これからの展開も気になるなぁ。

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2007年10月 5日 (金)

「水滸伝 ⑥ 風塵の章」を読んで

Suikoden06 ネタバレありです。

「水滸伝 ⑥ 風塵の章」(北方謙三著、集英社文庫、2007/03初版)。

鋼鉄の拳の武松、板斧達人の李逵を引きつれて、全国行脚を続ける宋江。元官軍兵士で盗っ人の欧鵬、元農夫で石を積んで崩す仕掛け作りの達人の陶宗旺を新たな旅の供に加えて進んでいく。

賞金稼ぎの馬麟も宋江一行に加わるが、子午山の王進の元に預けられる。一方、王進の元で二度目の修行を終えた九紋竜の史進は、小華山にもどっていく。

魯達(元・魯智深)は、有能ではあるが地方に封じられている秦明将軍を梁山泊に引き入れる策をたて、秦明のいる青州に向かう。

二竜山の幼い楊怜(楊志の養子)は、着任した豹子頭林沖に連日容赦ない稽古をつけてもらい、言葉を出せないながらも、強くなりたいという意思を示していた。梁山泊に加わった秦明は花栄とともに、林沖と交代して二竜山に入る。一方の林沖は騎馬隊の強化に精を出す。

李富の愛人の馬桂楊志に続き、梁山泊の施政担当呉用の暗殺の手引きを命じられる。

闇の塩の道を守ってきた清風山は青蓮寺に目を付けられるようになり、ついに三万の官軍を二竜山、桃花山、清風山の三山が迎え撃つこととなった。秦明はさすがと言える采配で官軍を追い払うことに成功。

事態が改善しないことに危機感を抱いた蔡京は梁山泊の鎮圧を強化すべく聞煥章を青蓮寺に送り込む。聞煥章は恐ろしいほどの才覚を持った人物で、梁山泊を掃討すべく策を出し始めるのだった。

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本巻からあまり細々したことを考えないで、純粋な娯楽小説として読むことにしている。これに加えて、ストーリーが盛り上がり始めたこともあり、いっそう止まらなくなりそうである。登場人物の一人一人にもだんだんと感情移入が出来始めた。

暗く悲しい過去を背負い、戦場に疾風のごとく現れて、鬼神のような働きをして梁山泊軍を勝利へと導く林冲。頃合を見計らったかのように登場する林沖は、通勤途中に読んでいても思わず胸が躍る。

また、歴戦の将軍といった重量感ある存在と卓抜した指揮能力を示す霹靂火秦明将軍。そして、官軍で登場したばかりながら、まだ経歴すら不明に関わらず、早くも驚愕の才覚を見せる聞煥章

私はこの辺りが気に入った。加えて、これからの成長を期待させられる楊怜も気になる存在である。

本巻では、梁山泊の躍進と、一方で押しまくられている官軍の逆襲に向けた予兆が扱われている。宋江の役柄は重要ではあるのだが、「緊迫度が高まりつつある中、何をのん気に旅行して、釣りまでしているのだ?」とややイラつかされる。しかし、きっとそういう役回りなのだろう。

本巻を読み終わって、こうした感想をブログを書こうと思っていたのだが、ついつい7巻を読み始めてしまい更新が遅れた。あまり書くと読む時間が減るので、今日はここまで。

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2007年9月24日 (月)

「水滸伝 ⑤ 玄武の章」を読んで

Suikoden05若干のネタバレありです。

「水滸伝 ⑤ 玄武の章」(北方謙三著、集英社文庫、2007/02初版)。

本巻では、三つの戦いと一つの救出作戦が描かれている。

宋江の居所が青蓮寺の知るところとなり、長江の中洲にある砦に立てこもった宋江の救出に向かう梁山泊の部隊とそれを阻止しようとする官軍の衝突。

二つ目は青蓮寺による楊志暗殺作戦。

三つ目は同じく青蓮寺による楊志が束ねる二竜山、桃花山殲滅作戦である。

そして、一つの救出作戦とは、鄧飛による女真族の虜囚になった魯智深の救出。

400頁足らずの中にこれだけたくさんの内容盛り込まれ、テンポ良く進んでいくので、ワクワクしながら読むことができた。

特に、北方水滸伝の特徴としては、時代背景・文化の解説よりも人物・物語描写に中心があるので、登場人物の名前を覚える作業以外は、難しいことを考えなくて読めるという点があるように思う。

また、描き方はこれまでの指摘のように、「北斗の拳」や「銀河英雄伝説」のような青少年向けの劇画やアニメ調で、登場人物が魅力ある人物として描かれているので、感情移入もしやすくなっている。

この当たりがこの小説の魅力と言えそうである。

本巻は、楊志がたった一人で150名もの闇の軍を相手に壮絶な戦いをする場面が最大の山場である。

その戦いの描写方法は、臨場感は伝わるが、マンガのコマ割のような書き方で、相変わらず青少年向けの小説だなぁと感じた。ただ、緊張感・迫力が伝わってきて、もちろん大変面白い。

また、楊志が養子として育ててきた楊令は、焼け跡から助け出されると楊志のアザと同じ位置に焼けどを負っているなど、「そんなバカな…。」と思う点も多い。しかし、こうした設定のおかげで、将来の楊令の活躍を予感させるなど、楽しみも増えるのである。

五巻まで読んでこんなことを書くのもどうかと思うが、歴史小説というより、少し子供向きの活劇小説と割り切って、思い切り楽しんでしまうのが正しい読み方だと思い始めた。個人的にマンガも好きであることだし。そう思うとこれからの主要登場人物の生きざまが大いに気になってしまうのである。

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2007年9月13日 (木)

「水滸伝 ④ 道蛇の章」を読んで

Suikoden04 若干のネタバレありです。

「水滸伝 ④ 道蛇の章」(北方謙三著、集英社文庫、2007/01初版)。

本巻では、さまざまの登場人物が自らのおかれた立場で、ついに盛んな活動を始める。

逃避行を続けながら志を説いていく宋江と武松、また、それとは別に青蓮寺から逃げる雷横。娘・閻婆惜を殺された馬桂に近づき、愛と任務の狭間で悩み始める李富。旅先の宋江の働きかけで志に目覚める新しい同志達。そして、女真族と呼応するために北に向かったまま音信が途絶えた魯智深。

一方、ついに打って出る梁山泊軍。そして、その梁山泊軍への本格的な暗闘を仕掛け始める青蓮寺。

冒頭の王進がたびたび物語に出てくる点だけではなく、これから梁山泊軍の英雄になっていくだろう楊令(楊志の養子)、青蓮寺の存在などはすべて原典にはない内容とのことである。次第に北方水滸伝の色彩が強くなってきたようである。

前巻までは、超人的な強さのハードボイルドキャラが多いという点で、「北斗の拳」のような小説だと思っていたが、本巻を終えてみると、「銀河英雄伝説」のような流れだと思い始めた。大変面白い大河小説だが、内容的にはやや子供向きという印象である。ただ、それでもやはり面白い。

たどり着く先は見えているし、どこかからは引き伸ばされたバネが収縮するように終息に向けての動きが始まることも分かっている。ただ、まだ今のところは次への展開、その次への展開が楽しみである。

本巻では特に、第一巻から陰湿な悪役という印象が強かった李富が、実は愛国心が強く、現状を憂いながら、ただその解決策としては梁山泊とは正反対の方向を向いていることが分かるという点が印象的である。冷徹な性格と思いきや馬桂を愛してしまい、それでも任務に忠実であろうとする姿。李富にもある種の悲劇を予感させる。

まだしばらくの間は物語の展開と登場人物の拡大・拡散は続いていきそうである。引き続き通勤の合間などに楽しみにしたい小説である。

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2007年9月 1日 (土)

「金持ち父さん 貧乏父さん」を読んで

Kanemochi_250 「金持ち父さん 貧乏父さん」(ロバート・キヨサキ、シャロン・レクター、筑摩書房、2000/11/15初版)

「どうやったらお金持ちになれるか?」ということについて、ロバート・キヨサキ氏の哲学をまとめた本。分かりやすい言葉で書かれており、金融知識などなくても楽に読める。また、会計・金融について勉強しようという気にさせてくれる本だと思う。

月々の消費支出は稼いだ範囲に抑えて、投資のために貯める。ぜいたくな消費は投資でもうけたお金でする。

持ち家は資産ではなく、維持費というお金を払い続けなくてはならない負債である。持ち家のために借金をすると、その返済のために働いて一生が終わってしまう。

お金のために働くのではなく、お金を働かせなくてはならない。

お金を貯めても、貯金や投資信託に回すだけではダメである。資産を持ってもそこから十分なお金を産めなければ意味がない。一生懸命に勉強をして、頭を使って投資すべきである。筆者の場合は、その対象は、不動産と小型株である。

キヨサキ氏は47歳で遊んで暮らせる身分になれたので、あくせく働いている人が氏の意見に反対するのは難しい。ただ、あまりに自慢話のような調子で文章が進んでいくので、読んでいて辟易としてくる。しかし、それを予想してか、「こうした本を読んでも行動起こさない人はお金持ちになれない」とたたみかけてくる。大したものである。

投資をする時の注意点も書かれている。これらは、項目を上げて説明されており、どれも一般によく言われていることであるが、それでも改めて肝に銘じておくことだと思った。下記の通りの言葉で書かれているのではないが、

  • 色々なことを幅広く学べ!
  • 臆病になり過ぎるな!
  • 忙しいからと投資を面倒くさがるな!
  • 自分の無知をかくすために傲慢(ごうまん)になるな!
  • 「人の行かぬ道に花あり」を忘れるな!などなど。

また、私自身は、常に「仮説をたてる」→「投資する」→「(成功であれ、失敗であれ)そうなった原因と自分が投資結果をした理由を考える」というプロセスが必ず必要だと思っている。そうすることで、何も考えないで投資する人よりは成功の確率を高くしていけるのだと思う。

タイトルは昔から何となく知っている本で、良く売れている本だというのは想像していたが、私が買ったのが68刷というのを知って驚いた。

高学歴でマジメ一辺倒だが一生金銭問題で悩んだ実のお父さんと、学歴はないがお金についてのセンスがあり億万長者になった友人のお父さんという両極端の父の考え方を比較している点。また、ふと、手に取ってみたくなるタイトル。最近の新書に多い題名のつけかただが、なるほどベストセラーになりそうな作りである。

本書の内容は、お金を貯めるには当然では?と思う内容であるが、個人の資産運用の基本についてまずは心構えから知りたい、イチから勉強してみたいという人にはまずまず良い本だと思った。

★★★☆☆

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2007年8月20日 (月)

「水滸伝 ③ 輪舞の章」を読んで

Suikoden03若干のネタバレありです。

「水滸伝 ③ 輪舞の章」(北方謙三著、集英社文庫、2006/12初版)。

本巻では、梁山泊内で体制が作られていく間に外界では何が起きているかを中心に描く。

前巻で軍に居場所がなくなった青面獣 楊志が二竜山の首領になり、かつて王進に教えを受けた九紋竜 史進は力だけに頼る未熟さから脱皮すべく再び王進の元へ行く。また、王進の元にいた武松はすっかり立ち直り宋江に仕えることとなる。魯智深は北への旅路につき、そして、その宋江もいよいよ旅に出ることに。

表舞台では、梁山泊と呼応するように盗賊の動きが始まり、そして、裏の舞台では、青蓮寺と梁山泊の闇の部隊同士の争いが開始される。

これまでは悪の象徴でしかなかった青蓮寺も梁山泊同様、現在の政治を憂えていることが分かる。決定的な違いは、現体制を維持しながら政治を改革しようとするのか(青蓮寺)、体制そのものを倒して新しい政府を作ろうとするか(梁山泊)の違いである。

前二巻で導入部を終えて、本巻では次第に宋の国に内戦の暗雲が迫りつつあるという気運を感じる。また、一巻の解説で、本当の水滸伝では冒頭に出てくるだけ、と書かれていたため、王進はこんなに登場してよいのかと思ってしまう。まるで、スターウォーズのヨーダかドラゴンボールの猫神様(カリン様、ってこんな役だっけ?)のようである。

前々回は「ロールプレイングゲームのような」、前回は「北斗の拳のような」という例えを使った気がするが、どうもこうした劇画ちっくなイメージを持ってしまうことが、この作品への批判もある理由かと思う。ただ、続きがどうなるか楽しみで仕方ないので、私はうまくハマってしまったようだ。

まだ、特別の思い入れを持てるキャラクターはまだいないが、これからどんな展開になっていくか楽しみである。

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2007年8月 8日 (水)

「水滸伝 ② 替天の章」を読んで

Suikoden02_3少しですがネタバレありです。

「水滸伝 ② 替天の章」(北方謙三著、集英社文庫、2006/11初版)。替天の章とは、『替天行道』という梁山泊の旗印のことである。

林沖らが、梁山湖に浮かぶ天然の要塞(山塞)である島を、世直しをしようと集まりながら堕落して盗賊に成り下がった集団から奪いとるまでの話である。

宋建国時の英雄の子孫、楊志が登場し、現体制に大きな疑問を感じながらも、軍人としての誇りから権力への忠誠心を示す。しかし、世直しを目指す晁蓋(ちょうがい)らに見込まれ、軍を離れざるを得ない立場に追い込まれる。

また、2年間も地下牢に閉じ込められながらも生き抜いた公孫勝を救出するエピソードなどワクワクする展開が続く。

もともとハードボイルド作家である北方氏のイメージからかも知れないが、本書を読みながら早像力を働かせると、かの漫画「北斗の拳」(武論尊&原哲夫)の作風が脳裏をよぎることが多い。

だからと言って、面白くないわけではなく、だんだんと本作の魅力に引かれてきた。

まだまだこれから登場人物が増えて行くのだろうが、早くも、途中で「あれ?この人?」と思うことが増えてきた(恥ずかしい)。巻頭に登場人物紹介があるのはありがたいのだが、栞のような感じで、一枚登場人物紹介を入れておいてくれると嬉しいだろうなぁ、と思った。

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2007年7月28日 (土)

「水滸伝 ① 曙光の章」を読んで

Suikoden01「水滸伝 ① 曙光の章」(北方謙三著、集英社文庫、2006/10初版)。文庫版は現在 10巻まで出ていて、毎月一冊発売され全19巻ということである。ずいぶん良い評判を聞いて前から興味があったのだが、とうとう手をつけ始めてしまった。

この手のものは付き合いだすとキリがなくなってしまう。ハマってしまうのは想像できて何となく怖い。北方謙三ってハードボイルドでしょ?ハードボイルド…(苦笑)?というイメージに少し躊躇していたのが大きいと思う。

しかし、司馬遼太郎賞受賞作ということだし、先週の夏休みに読む本もないというのも寂しいし、そして、「梁山泊」という単語はよく聞くがその語源にあたる水滸伝についてはほとんど知らないなぁ、と思い買ってみた。

まだ、一巻「曙光の章」を読んだだけであるが、確かに面白い。

色々なレビューにも書かれているが、登場人物一人一人が魅力に溢れている。

本書巻末の北上次郎氏の解説によれば、「「水滸伝」は民間説話が集大成されたもので<中略>人物のキャラクターがはっきりしないし、バランスも悪く、物語として壊れている」ということである。その上で、北方謙三氏はこの物語を解体・再編成させ物語として完成させていてるとのことである。そのために、原典とは大きく変えた箇所も少なくないらしい。

今回読んでみて、その再編成をしたからこそ読んで魅力のある小説になっているのだと思った。一巻を読んだばかりで、これから長丁場の読書になるが、昔、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」を読み始めた時のような、そんな楽しさを感じている。

友情、希望、夢、正義、男らしさ。そして、ロールプレイングゲームのような大河小説感。こういうものを好きな人には、お薦めな長編小説なのだと思う。

これからどんな展開になっていくのか?通勤電車の中での付き合いになりそうだが、まったくもって楽しみである。

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2007年6月 8日 (金)

「関ヶ原」を読んで

多少のネタばれあります。

「関ヶ原」(司馬遼太郎、新潮文庫 上中下、1974/6)。作者の作品は読後に爽やかな余韻が残るので以前から好きである。ミーハーに聞こえそうだが、中でも「竜馬が行く」、「坂の上の雲」、「燃えよ剣」が好きである。この関ヶ原はそれと匹敵するほどの面白さがあった作品である。

1600年 関ヶ原と言えば、言わずと知れた天下分け目の合戦で、日本史上最大という規模、歴史の授業でもキリ番の年号の覚えやすさで馴染みだけはあった。しかし、戦国時代についての本でも信長、秀吉については読んでも、それに続く関ヶ原は小早川秀秋の裏切りなどのエピソード程度しか知らず、また結末も知っているなど浅薄な印象が強かったため、一度もこの戦いに関する本を読んだことがなかった。

本書を読み始めて、私自身の浅薄さを思い知った。通勤電車の中で本を開ける時だけ読んでいたのだが、それでも十分面白く、また色々考えさせられることも多かった。

本書は秀吉の死後からどのようにして関ヶ原の戦いに至ったのか、そして、合戦中の各武将の様子が生き生きと描かれ、上にあげたお気に入りの作品と同等、あるいはそれ以上に面白い歴史小説に仕上がっている。

秀吉の死後、家康が豊臣家から政権を簒奪すべく策をめぐらして、多数派工作を進め、それを完成させるために石田三成の挙兵を誘っていく過程。ゆっくりとしかし着実に自らの天下取りに備えて進んでいく。密偵を使ったり、策謀の連続だったりで、陰湿な悪役に近い描かれ方をしている徳川家康が、正義感だけに生きる官僚 石田三成をジリジリと追い詰め、刺激していく様は辣腕政治家(現実主義者)の姿である。おそらく現代の社会でもここまでできる政治家が大事をなしとげられるのだろう、と憎らしく思いながらも素直に感心させられた。「義ではなく、利によって大半の人は動く」という悲しいが現代でも真実と言えることを中心に物語は展開していく。

一方の石田三成は正義感をふりかざして、人に厳しく接する嫌われ者。豊臣政権の小うるさい番頭として描かれている。しかし、家康に多数派工作を進められながらも、実際の戦闘ではあと一歩で勝利というところまで家康を追い詰めた石田軍(西軍)の士気の高さに驚かされた。世間では判官びいきもあって西軍ファンが多いようだが、利ではなく義に従って勇敢に戦って散っていった武将達に感情移入したくなる気持ちはよく理解できた。しかし、また、どんなに正しい言動であっても、人に嫌われる者が将ではやはり支持も集めにくいということが石田三成の敗戦からは学べそうである。福島正則を筆頭にした秀吉の子飼いの武将は家康に加担して東軍に属したというより、とにかく石田三成憎しの気持ちが強かったためである。

司馬遼太郎小説ではお馴染みの「余談ながら、、、」という登場人物一人一人についての脱線話は、作品によっては疎ましく感じることもあるが、本作では、一人一人の登場人物に息を吹き込んで作中で生き生きと活動させるのに良い効果を発揮している。

本作には小山の軍議と関ヶ原の合戦という二つの山場があるが、どちらも大変な盛り上がりを感じさせてくれる。小山の軍議では政治のすさまじさが発揮され、豊臣の家臣を一気に徳川軍に変えてしまう様子がみごとに生き生きと描かれている。また、合戦は小競り合いから関ヶ原の一日へと盛り上がり、合戦中の三成と家康の憤り、そして終焉へとスペクタクル映画のように展開していく。

最後は、司馬遼太郎の他の小説と同じく、冒頭に書いた通り爽やかな印象が残る。お奨めです。

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2006年1月28日 (土)

「日本電産 永守イズムの挑戦」を読んで

nidec 「日本電産 永守イズムの挑戦」(日本経済新聞社刊 2004/12)を読んだ。自動車や家電製品は、私たちの目に触れブランドとしてもよく知っているので、経営者も有名な人が多い。日本電産の製品は、モーターを初めとした部品が主なので、会社の名前も経営者の永守重信氏も一部で有名ということに留まっているように思う。しかし、間違いなく日本電産も永守重信氏も日本を代表する企業であり経営者である。

日本電産はこれまでに23件もの企業買収を行い、相次いで再生に成功、過去10年間だけでも売上を約6倍、利益も7倍に成長させている(※)。また、強引な買収は行わずに経営危機に陥った会社の再建を手がけ、買収後も欧米流の赤字部門切捨てや従業員大幅削減といった「外科治療」は行わずに、すばやく再建へと導いている。

本書は、23件目の買収であった三協精機(現・日本電産サンキョー)の買収・再建のストーリーに始まり、経営者 永守重信の生い立ち、日本電産設立・発展の話を取り上げ、その中で、永守氏の考え方・凄さが分かるようになっている。

私は、仕事で永守氏の話を聞く機会がこれまでにも何度かあり、その度に「もの凄く強気な人だが、実績も本当に凄い」と感心させられてきたが、本書でその背景を理解できた気がした。また、「すぐやる、必ずやる、出来るまでやる」、「会議は時間外または休日にやる」、「1番以外はビリだ」などに代表されるように、「猛烈社長」という表現がぴったりな「人にも自分にも厳しい」イメージだが、話を聞いていると、その中にユーモアのセンスを感じることも多い。その理由も少し分かった気がした。

この本は日本電産や永守氏を知らない人にこそぜひ読んでもらいたい。同社がやってきたのは、安易な小手先の技法ではなく、地味な買収と再建の繰り返しと、従業員一人一人の人一倍のやる気を引き出す熱意ある指導だということである。また、永守氏自身、高校時代から株式投資をしてきた。昨年来、M&A、株式投資がブームになっているが、永守氏のそれらは最近のブームとは明らかに一線を画し、しかも大きな成功を収めている。地についた経営と事業展開をすることが王道であり、永守氏はそれをやっているように感じられる。また、そのやり方も独特である。

たとえば、永守氏は日本電産が買収を発表した会社の株を他の投資家が十分買い上げた後、最後に自分のお金でも買い、自らが個人株主では筆頭になり予め再建に向けた責任も背負う。再建する会社の社員との交流のために食事をしたり「飲みニケーション」したりするのも全てポケットマネー(しかも、その額は一社当り1千万円!)。また、買収先の会社への役員派遣もほとんど行わず、従業員削減もしない。まったく凄いし、風変わりでもある。雑然と列記したが、私はこうしたやり方ひとつひとつに永守氏の哲学を感じてしまう。

余談だが、もうすぐ開幕するトリノ冬季五輪では、日本電産サンキョー所属の加藤条治選手ら4人に、メダルを獲得したときの報奨金として、金なら会社と永守会長個人が5百万円ずつ計1千万円、銀なら3百万円ずつの6百万円、銅なら2百万円ずつの4百万円を贈る意向を発表している。努力して成果を出した人は必ず報われるようにするということだ。

本書を読むに当って、冒頭の三協精機の話は財務的な話も多くあり、そういう話が苦手な人はまずはそこはザーッと読むに留めて、生い立ちや会社発展の歴史をじっくり読み、最後まで読んでからまた三協精機の話にもどる。そんな読み方が良いと思う。

同社の売上高は2005年度 5千2百億円(※)。永守氏は自分で創業してそこまでの会社にしたのだからそれだけでも大したものである。しかし、さらに2010年には1兆円、2030年には10兆円にすると大風呂敷を広げる。しかし、本書を読むとそれができそうに感じてくるから不思議である。

※ 2005年度 会社予想による。

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2006年1月14日 (土)

「ソニーとSONY」を読んで

ces2 「ソニーとSONY」(日本経済新聞社刊、2005/11)。大幅な業績悪化の発表で株価が急落した「ソニーショック」(2003年4月)から経営陣交代が決まった2005年6月までのソニーを中心に、日経新聞記者の取材をまとめた本。ラスベガス出張中の往復の機内で読んだのだが、ちょうど出張初日には、CES(Consumer Electronics Show)で新CEOハワード・ストリンガー氏の基調講演を聞いたりもしたので(写真参照)、本書は個人的にタイムリー。

10年間に渡ってソニーの経営を行い、特に99-00年当時にカリスマ性を発揮していた出井氏。しかし、ソニーショック後に「営業利益率10%を目指す」という現状からすると誰の目にも疑わしいアドバルーンをあげ、以降むしろ業績はさらに悪化して経営陣交代となってしまった。

この時期、ソニーの内側では何が起きていたのか?それを多くの取材をもとにまとめたのが本書である。創業世代の大賀氏の存在を背景に伊庭氏、その他経営者の面々を歴代の人たちと合わせて登場させており、「なるほどー、そういうことがあったのかぁ」と改めて知ったことも多かった。

もう少しよく知りたかったのは、次期リーダーと目されていたプレイステーションの生みの親の久夛良木氏がこの期間、特に新経営陣発表後に何を思っていたかである。久夛良木氏のソニー取締役辞任は経営陣交代の中でも大きなニュースだったので、もう少し大きく取り上げて欲しかった。

また本書は、「ソニーとSONY」という書名の通り、伝統的日本企業文化と欧米的経営の組織体制の対比も示している。今回の経営陣交代における社外取締役の積極的な働きかけと交代後のOB勢力弱体化という流れがそれである。また、個人の技術者の発想に頼った経営と大企業となり組織管理を重視した経営の対比もそうであると思う。

今回のCESでのストリンガー氏の基調講演は、俳優のトム・ハンクスやデル・コンピューターのマイケル・デルなどを登壇させ、多くのジョークとともにコンテンツとハードの融合を唱えるものだった。「楽しいショーだった」、「もっと会社復活に向けての強いメッセージが欲しかった」など様々な感想が聞かれた。出井氏は99年のコムデックスで初めて日本人として基調講演を行い大きな注目を集めたが、今となっては出井時代の頂点とやや皮肉に捉えらる。今回のストリンガー氏の公演は後世どんな風に捉えられるのか?

液晶テレビ「BRAVIA」やPSPのヒットでようやく売上に明るい兆しを見せ始めたソニー。しかし、今回の私の出張でも持って行った携帯音楽プレイヤーは「iPod」とまだまだ本格回復には道が遠い。ウォークマン伝説に象徴されるように、日本の製品開発力の象徴のイメージもあるソニー。なんとかガンバってもらいたいものだ。

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2005年12月25日 (日)

「セブン-イレブンの「16歳からの経営学」」を読んで

先日衝動買いした「セブン-イレブンの「16歳からの経営学」」(勝見明著 宝島社刊 2005/11初版)を読んでみた。

本当に16歳で読んでよく分かるのだろうかという疑問は残るが、気楽に読めてセブン-イレブンの強さ・凄さが分かる良い本だと思った。

本書の構成はバーチャル体験風にセブン-イレブンのアルバイトからスタートし、次いで社員、管理職、トップと進んでいきながら、同社の強さを理解できるようになっている。トップダウン的な見方で、難しい言葉を並べて説明するというスタイルではなく、色んなアルバイト、社員を随所に登場させて、身近な例を書いていくとともに、同社のカリスマ経営者「鈴木敏文」氏の言葉を重ねていくという分かりやすい形をとっている。

また、多くの頁をアルバイトの描写に割いていて、同社がどれだけアルバイトの人間力をうまく活用しているかに重点が置かれていて面白かった。本書を読んで私なりに感じたポイントは、

コンビニという狭いスペースでは、売れなくなっていく商品を棚からなくしてこれから売れていく商品を増やすことが一番大切。しかし、数え切れないくらいの品数をおくコンビニの商品を店長一人が、単品毎に管理するのは大変、というか不可能。また、その店の売れ筋商品は、天気、イベント、時間帯、地域性によっても大きく変わる。

そこで、責任とやりがいを与えながらアルバイトに発注を分担させる。むしろアルバイトの方が「顧客の立場」で考えられるのでうまい発注ができることも多い。発注では、自分の店の周囲の情報収集やそれを元にして「何が売れるか」という仮説を立てることが一番大切。POSのデータはその仮説が正しかったを知るための道具に過ぎない。要は、人間の想像力・判断力が大切ということ。

この商売最前線での発注作業を最適なモノにするのがセブン-イレブンの仕組みの基礎になっている。また、その仕組みを徹底して作っている点が凄いのだと思う。一日3回の納品、冬でも冷やし中華を納品できる体制などなど。また、「顧客の立場」というコンセプトも会社全体で一貫しており、それは商品開発にも生かされている。顧客の欲しがる(あるべき)商品を開発・提供しようという姿勢が妥協のない商品開発につながっているようだ。

また、顔をつき合わせる仕事スタイルを徹底するため、全国の千数百人の社員を週に一度、東京に集めて会議を開いているという点は驚きだった。こんな情報化時代によくもそんな、と思うが、暗黙知を共有していくのに良い方法のようである。こうしたスタイルは私も大いに納得するが、年間30億円ものコストをかけてそれを徹底的に実施している同社の姿勢はやはり凄い。

など、まだまだこうした事が幾つもの例や鈴木敏文氏の言葉とともに紹介されている。本書は通勤電車の中で軽く読むにはちょうど良い。本書には、今の店舗では棚をどう使って商品を並べるかが大切だとも書かれている。今は「目的買い」ではなく、消費者はモノ余りの中「衝動買い」の時代に入っているからだとのこと。ちょうど書店では本書はまだ平積みされている。衝動買いするに足る本ではあると思う。

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2005年12月 4日 (日)

「下流社会」を読んで

今、話題になっている「下流社会」(三浦展著 光文社刊 2005/9初版)を読んでみた。

「食うや食わずの貧困生活ではないが、生活向上心に乏しく無気力であること」これが筆者の言う「下流」で最近そんな若者が増加しているという。「明日は今日よりきっといい日だ。努力すればいつかは報われてより良い生活ができる、いつかはクラウンに乗ろう」という、誰もががんばれば豊かになれるチャンスがあったかつての成長社会。低成長時代になった今日は、「下流」でもDVDレコーダーやPC、インターネットが手に入り、サイゼリヤやガストでお腹いっぱいにでき、100円ショップでは日用品が何でも手に入る。そんな中ではダラダラしていても暮らしてもいける。一方、がんばったところで就職するのも大変だ。それならのんびりと「自分らしさ」を求める方がいいに決まっている。

そんな「下流」の発生理由とその階層の特徴について書かれているのが本書である。特に「下流」家庭に生まれた子供も「下流」になるという「階層の固定化」が懸念されている。

本書は、全般に楽しく気楽に読める内容になっている。また、筆者も認めている通りサンプル数は若干少ないが、きちんとしたサンプル調査とその分析に基づいた意見である点に好感が持てた。

特に冒頭で類型化されるいくつかの消費者のタイプは面白い。女性であれば、お嫁系、ミリオネーゼ系、かまやつ系、ギャル系、普通のOL系。男性であれば、ヤングエグゼクティブ系、ロハス系、SPA!系、フリーター系。これによると、私の周りには、女性ならミリオネーゼ系、男性ならロハス系が多いようで、読んでいて具体的に「あの人は典型的!」と思えてかなり笑える。ちなみにミリオネーゼ系は、キーワードを拾ってみると、総合職キャリアウーマン、上昇志向、海外留学、ブランド・グルメ志向。ロハス系は、Lifestyle of Health and Sustainabilityの略で、キーワードは、高学歴・高所得、マイペース、共働き、知性・上品なモノへのこだわり、自然・伝統、海外留学、会社以外の人脈に関心などである。また、章タイトルになっている「年収300万円では結婚できない!?」、「自分らしさを求めるのは「下流」である?」、「「下流」の男性はひきこもり、女性は歌って踊る」なども面白い。

しかし、面白がってばかりいられないのはもちろんで、いわゆるニートを含めた「下流」の増加とその固定化が社会的に望ましくないのはたしかである。

筆者は最後に幾つかの解決案を示しているが、どれも書籍としてまとめるためにとってつけたような提言のように感じられたのが残念。このまま日本は他の先進国のように階層がよりはっきりした社会になっていくのだろうか?そして天然資源もない日本はより活力のない沈みゆく国になるのだろうか?教育問題という点では、本書のコラムでも取り上げられている「ドラゴン桜」のような先生がたくさんいれば、とも思うのだがあまりに非現実的だろう。いまだに「ゆとり教育」からの針路変更が抜本的にはされない現状では、この問題の根本解決は難しいのかも知れない。

読後、本書P.92-95に示されている内閣府「国民生活に関する世論調査」結果を見て一つ気がついたことがある。80年代後半の地価高騰期には多くの世代で生活ランクが下と答えている人が急増している。会社員が都内に家を持つなんて夢のまた夢、急騰する資産を持つ一部の人とそうでない人の格差がマスコミにクローズアップされた時期であったように記憶している。そしてバブル経済崩壊とともになぜかこの「下」の割合も低下している。そうであるならば、長い失われた90年代の負の遺産からの現在の景気回復が本物であるならば、景気回復とともに下流社会も多少は解消していくのかも知れない。ちょっと前なら隔世の感があるが、最近多くの企業が人材採用難・人出不足を訴え始めている。若者にとって「就職なんて夢みたいなこと」、という状況からは少し変わりつつあるようだ。しかし、そうした外的要因に頼りたいと思うほど深刻な事態であることも確かだと、私もよくそう思う。

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